ミッシェル・バテュ
サイドストーリー(2003)
母なる自然の美しさを求め 写真家である夫と世界中を旅しながら創作を続けるバテュ。 地球の様々な場所で出会った風や光や緑の命が、 その芸術家に底知れないインスピレーションをもたらす。 『もっとゆっくり生きなさい』 静かな魂で世界を見つめるやり方を学べばほら、人生はもっともっと素晴らしい。 彼女の生み出す一枚の絵は、私たちにそう語りかけてくるようだ。
ゆっくり生きる意味を、そっと思い出させてくれるアーティスト
複雑化した社会システムのなか、氾濫する情報に押し流されながら生きている私たち。
テクノロジーは終わることのない進化を続けていくが、その過剰なスピードに心は取り残されてはいないだろうか。
毎日の仕事に追われ、ゆっくり生きる意味を確かめたくなったとき。 ふと気づけば、そこに現代人の心を癒すオアシスのような一人の画家がいる。
人々が切実に癒しを求めはじめた今、世界中で注目を浴びているアーティスト、ミッシェル・バテュである。
雄大な自然をモチーフに、世界の美しさとやさしさ、静かな力強さを描き続ける現代美術の第一人者。
見るものの心を開き、ポジティブな暖かさで、満たしてくれる彼女のアートに、日本でもファンは急増である。
香港にて
母なる自然から勇気とインスピレーションを授けられた芸術
バテュが自らの芸術のテーマに選ぶのは、いつも自然界だ。
広大な水平線に湧き上がる雲、沈む夕陽、緑したたるジャングル・・・母なる地球が見せる細やかな表情のひとつひとつを彼女は慈しむようにキャンパスに写し取っていく。 それはまるで祈りにも似て、人のいない静寂に満ちた風景を描きながらも、同時に人間への情熱的な賛歌を歌い上げているようだ。
バテュは写真家である夫と世界中を旅して回る体験を通じて、アーティストとして飛躍的な成長を遂げた。エクアドル、インド、タイ、イラン、イタリア、ルーマニア、そして日本。訪れた先で触れた大自然の景観からインスピレーションを受け取り、絵筆を取るのである。
物心ついた幼少の頃から絵の道を志していた彼女だが、少女時代に美術学校等で身につけた絵画テクニックと、そして生来の才能は『旅』という素材を得て大きく開花したといっていいだろう。
空間の制約から解き放たれて世界の各地をめぐるとき、バテュの精神もまた、自由な創造の世界に羽ばたいていくもかもしれない。彼女の創造意欲をとりわけ刺激するのはエキゾチックな風景や自然の雄大さ、静けさだが、生み出された作品に共通して流れているものはバテュ自身の魂なのだ。
ギリシャにて
愛されて育ったたぐいまれな才能
ミッシェル・バテュは1946年10月27日、パリに生まれた。第二次世界大戦が終了して間もないころであり、建築家であった彼女の父親がフランス北部の美しい街〈パ・ドゥ・カレー〉の復興に大きな貢献を果たしていた時期だった。こうした背景もあって、幼いバテュはパリの洗練された生活だけでなく、カレーの優しい自然の息吹にも包まれて成長することになった。彼女の自然に対する深い愛情と鋭い感受性は、幼かったこの時代に育まれたともいえるだろう。カレーには父親が設計した市役所や鉄道駅などが今も残り、当時パリでモデルとして活躍していた母親とともに、バテュ一家は現在でも町中の人々から愛されている。
生後11ヶ月の頃の貴重なスナップ
若々しい創造力秘めたパリジェンヌ
バテュの芸術的才能は、幼少のときから理想な環境を与えられていた。建築家として成功を収め不動産業でも活躍した父親が、彼女の才能のよき理解者としてふるまったからだ。父親はちいさな娘にねだられるまま、建築の仕事で使うデッサン用の大きくて立派なケント紙や、大人が持つような本格的な絵筆を用意してやった。自分の中に息づく若々しい衝動を、絵という方法で表現する喜びを、彼女は幼くして知ったのである。また、十代になって間のないある日、こんなこともあった。パリの自宅、自分の部屋でくつろぐバテュは、真っ白い壁をじっと見つめていた。壁が自分を何かにさそいかけてくるように感じたからだ。そして突然のようにひらめいたように理解した。ああ、私はこの壁に絵を描いてみたいのだ、と。それでも賢かった少女は父親のもとに走り、じしつの壁を絵でうずめてしまってもかまわないか、と許可を求めたのだった。父親ははじめ驚いたが、すぐに娘の願いを聞き入れてやることに決めた。この子には何かがある。物の形や風景の中から、本当の美しさを感じとるちからのようなもの。そしてそれを周囲の人間に伝え、分かち合うことで、他人に安らぎをもたらすことができるのだ。そう感じた父親は、彼女に自室の壁をキャンパスにしてしまう許可を与えたのである。それ以来バテュの部屋は、ありとあらゆる造形に満たされていくことになった。美しい形、不思議な形、大胆な線、繊細な線…小さなパリジェンヌはもう立派な芸術家であり、彼女の部屋は個展会場になったのだ。
15歳当時のミッシェル・バテュ。
アーティストへの第一歩を記した自室の部屋。
壁がスケッチや落書きで埋め尽くされている。
心を潤わせる美に、多くの賞賛が集<あ>まっていく
やがてリセ(高等学校)へ進学した彼女は、正確なデッサン力を身につける訓練に没頭するようになっていく。16歳から本格的な絵画の勉強に打ち込みはじめ、18歳でパリ国立美術学校に入学、周囲の人々はバテュの才能が順調すぎるほど健康に成長している証をみるようだったという。すでに美術学校入学以前から、画家としての人生はスタートしていたのだと考えてもいいだろう。その証拠に彼女は在学中からギリシャ、アメリカ、カナダと積極的に世界を飛び回り、さまざまなアートシーンやインスピレーションを吸収していった。このときカナダでは、早くもモントリオール世界展に作品を出展している。
21歳になるとオーストラリアで初の個展を開催。翌年の1968年にはフランス芸術家展での銀賞受賞を出発点に、ミッシェル・バテュの輝かしい経歴がはじまる。1974年に写真家のジョロワ・パリゾと結婚し、夫とともに世界中を駆け巡る創作活動に入ったことも、バテュの芸術をいっそうの高みに押し上げた一因だろう。以後、1973年・女流画家展、新人賞。1974年・フランス芸術画家展、金賞。1975年・国際美術家協会、サンピエール・ミケロン賞。1980年・国際美術家連盟による表彰。1986年・フランス芸術家展、名誉賞。1988年・モンテカルロ海洋協会、グランプリ賞。1992年・リラ展、国民議会賞と、まさに華々しいばかりの名誉に輝いている。
モナコにて
モナコ公国第5回国際現代美術大賞を受賞した折
に撮影。父、母、叔父、叔母との思い出の1枚。
バテュの芸術に魅せられた世界のセレブたち
世界中から高い賞賛を受けている受賞歴からも想像できるとおり、バテュを愛好する人々の中には世界的に著名なコレクターも数多い。モナコ公国の王である大公と、かのグレース王妃、イラン国王などは熱狂的なファンであり、熱心な作品コレクターである。人類を代表する平和主義者であり、元インド首相のガンジーは、かつて次のように語ったことがある。
『ミッシェル・バテュはチャレンジ精神に満ち、美しい視野と強さを持ってキャンバスに主題を吹き込む。それは神秘な素材と重なり合って、私をとらえる』と。
ここ数年、バテュの活動はいっそうの充実をみせてきた。2002年にはフランス美術家協会の運営委員に1位で選出されるなど、フランス画壇での存在感もますます大きくなってきている。もちろん創作活動でも常に新しい領域を切り開きつつあり、厳選された作品のみを限定版画として制作する仕事にも意欲を燃やしている。
個展会場を一緒に見てまわるモナコ大公(1番左)と
グレース王妃(左から3番目)と
当時23歳のミッシェル・バテュ
元インド首相ガンジーからの書簡